01城山熊野神社のこと

熊野信仰

城山熊野神社は、長久3年(1042年)、熊野三山から勧請、奉斎することで創建されました。

熊野三山は、古代より和歌山県熊野地方の神鎮まる神秘な地とされ、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社をその中心とします。

この熊野三山を信仰する「熊野信仰」の歴史は古く、平安時代に上皇や貴族などによる「熊野詣」が盛んとなったことを始まりに、中世以降に広く庶民の信仰となってからは「蟻の熊野詣」といわれ、大変な賑わいを見せました。

志村は、11〜15世紀にかけ豊嶋(としま)氏によって治められていた豊嶋郡の一部でした。当時の城山熊野神社の地には、豊嶋氏の一族である志村氏の居館があったといわれています。城山熊野神社の周辺に現在も残る西台、中台、前野町という地名は、「志村庄」の中心であったとされる志村城山から見てそれぞれ西、中央、前に位置し、歴史的にこの土地が重要な拠点であったことを物語っています。

豊嶋氏は熊野権現の勧請を積極的に行っていました。かつて豊嶋郡であった現在の中央区から板橋区にかけての地域には、現在でも数多くの熊野神社が残っています。そんな中、平安時代後期に志村将監(しむらしょうげん)の勧請、奉斎により、城山熊野神社は創建されました。

交通手段が限られていた時代に、東西を移動する人の流れをつくり出した「熊野信仰」は、単なる信仰というだけでなく、経済圏と文化圏を生み出しました。豊嶋郡はその東の一大拠点であり、志村は日本の西と東を結ぶ要所の一つでした。

現在、城山熊野神社は 「復活」「再起」「再出発」を祈願する神社として知られています。
その歴史のはじまりであった「熊野信仰」は、この世での生まれ変わり、つまり現世での死と再生である「甦り(よみがえり)」の信仰に基づいています。これは、世俗にまみれた古い自分を捨てさり、熊野の神へのひたすらな信仰によって、心身ともに精気に満ちた「新たな自分に生まれ変わる」とする信仰です。

城山熊野神社の絵馬殿には、江戸時代から大正時代の絵馬が90点以上納められています。熊野や伊勢への参拝の様子を描き、奉納されたこれらの絵馬は、長い歴史の中で信仰を通じてたくさんの人が「復活」「再起」「再出発」を願っていたことを物語るものです。

人の生きる時間は長くなり、一生のうちに失敗や挫折と出会うことも多くなりました。しかしそれ以上に「復活」「再起」「再出発」の機会が与えられているということも、忘れないでおきたいものです。 願い続けることで希望は成就します。「熊野信仰」の現代社会での意味を、ここに見出すことができるといえるのではないでしょうか。