本物の森

生命を守る森

鎮守の森」という言葉をご存知でしょうか。
古くはその土地の神社の森や、地霊を祀った森のことを「鎮守の森」といいました。その「鎮守の森」に新たな観点から注目が集まったのは、生態学者 宮脇昭氏(1928-2021年)の研究がきっかけです。

宮脇氏は、ドイツで農耕や放牧など人間の開拓活動による影響がない、その土地本来の植物の構成である「自然植生」について学んだ人物です。そして帰国後、日本の「鎮守の森」の多くにこの自然植生が残っていることを明らかにします。

自然植生が残る森は、人工的につくられた森や人間活動により劣化した森よりも、環境を保全し復元する力を持っています。そのため、大規模な自然災害の後にもしっかりとその生命を保ち続けることができます。実際に、阪神淡路大震災や東日本大震災などの大きな災害においても、「鎮守の森」が火災や津波の盾となり、地盤を支える網となって人と地域を守っていた例が、いくつも見られたそうです。

城山熊野神社の「鎮守の森」

城山熊野神社は、板橋区のほぼ中央部、荒川を臨む志村台地上にあります。志村熊野神社は志村城山遺跡にあたり、城山幼稚園の建て替えの際には発掘調査が実施されています。調査の結果、弥生時代後期の環濠や、奈良・平安時代の集落跡が発見されました。また、江戸時代につくられた『新編武蔵国風土記稿』※には、1500年代に志村城という城郭があったという記録があります。

1万年以上の時間の中で歴史を重ねてきた城山熊野神社の森。素直に考えると、自然植生が残っている可能性は低いように思えます。実際に、日本の暖温帯林の99%では、その自然植生が失われています。そのため、社寺の森に必ずしも自然植生が残されているということはできないのです。

しかし、2018年に行った調査により、城山熊野神社の境内に広がる森は、自然植生が残る「鎮守の森」であることがわかりました。

調査を担当した宮脇氏の弟子である国際生態学センターの目黒伸一氏は、宮脇氏の言葉を引用しながら「特定の宗教を強く信仰することが少ない日本人ですが、道場や球場に入る時に一礼をする習慣などに、場を尊ぶ精神を見ることができます。時代によっては、火を起こすために木を大量に伐採した時代もあったはずです。しかし、そんな時代の中にあっても、神を尊ぶ気持ちがこの森を残したのではないでしょうか」と語られています。

※『新編武蔵国風土記稿』間宮士信等編

めぐる生命の中で

長い時間、人と地域を見守り続けてきた城山熊野神社の「鎮守の森」。

自然植生の森は、人がその利益のために単一の樹種を植林して叶うものではなく、必ず複数の種類の木が共存し、時には競い、時には助け合いながら、数百年の時間をかけてつくられていきます。その姿は、さまざまな個性を持つ人が共存しながら生きていく人間社会の姿にも重なります。

場を尊ぶ精神によって守られてきた「鎮守の森」も、地球の気候の変化によって、また周辺環境の変化によって、その一部が損なわれたこともあったでしょう。それでも、この森は強運にも生き残り、その姿を今に残してくれました。

夏、明るい太陽のもと生い茂る緑は、冬の間にたくわえた力があってこそ輝きます。城山熊野神社は「復活」「再起」「再出発」の聖地です。今日があなたにとって晴れやかに明るい日であっても、曇り空を憂鬱に感じる日であっても、「鎮守の森」と共に、城山熊野神社はここにあり続けます。