01城山熊野神社のこと

御由緒

蘇りの聖地熊野

紀州熊野は日本神話における「蘇りの聖地」。その伝承は日本最古の歴史書「古事記」及び「日本書紀」に記される神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の東征神話に由来します。

国の統一をめざし、紀伊半島に迫った神倭伊波礼毘古命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の威を借りるべく、旭日の方角、紀伊半島の東岸に位置する熊野を上陸の地に選びます。

やがて八咫烏の導きにも助けられた神倭伊波礼毘古命は紀州一帯を平定。日本を建国し、初代天皇である神武天皇として即位します。その成就が度重なる挫折や苦悩、逡巡の果てにあったことから、熊野が「蘇りの聖地」と称されることになりました。

古来より救済と再生を求める人々が列をなして詣でた熊野。そして、人々が最後にめざしたのが熊野三山です。

源義家の祈願と復権

長久3年(1042年)、武将志村将監が熊野三山から勧請、奉斎することで創建した城山熊野神社は「復活」「再起」「再出発」を祈願する神社として知られています。

永保3年(1083年)に起こった後三年合戦で、源義家が奥州の平定に向かう際、当社で武運を祈願したという伝承が残っています。

義家は合戦に無事勝利しますが、戦費の捻出に官物の貢納が滞ったため官職を罷免されます。しかし、その後未納を完済したことで、白河天皇から昇殿を許され、見事復権を果たします。

朝廷を守る将軍となった義家は武士の地位を向上させ、その功績がのちの鎌倉幕府開府へとつながるのです。

開雲見日

当社は「復活」「再起」「再出発」の言祝(ことほぎ)として、「開雲見日(かいうんけんじつ)」という言葉を大切にしています。開雲見日とは暗雲が去り、太陽が再び顔を出すという意。転じて、憂いや心配事が消え、希望が見えることをあらわします。

当社ではまた、「復活」「再起」「再出発」を祈願する際の心構えを四季の農耕に喩えて、次のように説いています。

春: 蒔

知識は種、手間暇をかけて種を蒔くこと。

夏: 育

経験は青葉、丁寧に愛情をかけて育むこと。

秋: 穫

好機は実、ここぞの時は背中を押して穫ること。

冬: 待

信頼は土、努力を重ね焦らず待つこと。

人は失敗や挫折を経験すると、不安や焦燥、恐怖や怯えから挑戦を避けるようになります。しかし、心に構えがあれば失敗は恐れるに足りません。

大切なのは、心の構えを持って願うこと。願い続けることで「復活」「再起」「再出発」は成就します。暗雲が去り、太陽が再びあらわれるように、四季が何度もめぐるように、希望は蘇るのです。

出発の地

江戸時代、板橋には板橋宿という宿場町が置かれました。板橋宿は江戸日本橋から数えて中山道第一番目の宿場であり、また、川越街道の起点でもありました。古来より多くの旅人が洋々たる前途を祈って、この地から一歩を踏み出しました。